夢の階段かけ上がって

いちジャニヲタによる雑多な日記

ジャニヲタ、大学受験をする。

 

久しぶりに開いてびっくり、前回の記事が2年前。下書きが残っていたものがいくつかあったのでそのうちの1つを加筆修正しここに公開することにします。

 

ジャニヲタの大学受験体験記をよく見かける。私自身、受験生の間そういったブログを見てモチベーションを高めていた。この大学受験体験記があの時の私と同じようなジャニヲタの役に立てたらいいなと思う。ただしもうだいぶ経っているので記憶が曖昧である。あしからず*1

 

まずは自分の情報を。

・高校は田舎の公立進学校(例年現役で40〜50名程が旧帝大早慶に進学する程度)

・高校は文化部(週5)

・高3の時の成績は320人中240〜280位

・文系

・浪人不可な家庭

・小学生の時からジャニヲタ*2

 

私は受験真っ最中に勉強しなくても行ける大学に行けばいいやとか言ってました。高校入学したときは意識高かったので堕落していったパターン。その辺を頭に入れて読んでもらえると嬉しい。まあほとんど備忘録なので読みにくかったらすっ飛ばして。

 

高校1年生

☆受験ゴト

最初の進路希望調査に筑波大学と書く。理由は関東にあって、高1から目指せば受かりそうだったから*3。あとは同じ部活の先輩(直接面識はない)が進学していて親近感があった。

ジャニヲタとしてはとにかく東京(都会)にアクセスがいい所に進学したかった。親との話し合いで国公立なら1人暮らししても良いとお許しが出たのでこの選択に。意識だいぶ高めの時期。ちなみに2回目以降の進路志望調査は慶應義塾大学と書いた。粘り強く交渉したら早慶+明治+国公立なら1人暮らしOKとの許しを得たから。早稲田じゃなくて慶應なのはもちろん嵐のあの方の影響。自担に憧れるジャニヲタだった*4

 

勉強内容としてはひたすら学校の課題。授業スピードがとんでもなく速く、ついていくのに手一杯だった。ただ、今思えば学校のカリキュラムはよくできていた方だと思う。英語は単語と構文、英文法をひたすらやらされた。おかげでターゲット1900はトラウマ。数学はとにかく1度全部やってしまおうっていう方針だったな。3学期には数ⅡBが半分以上学習し終わってた。

 

★ジャニヲタゴト

この年現場に行けなかったんですよね。関西Jrは情報局に入ろうと思う前だし*5、嵐は外れたし。V6はファンクラブ入ったけど20周年アニバコンの申し込みに間に合わなかった。完全に茶の間と化した時期。ただ、同級生でV6ファンと嵐ファンを見つけたので仲良くなった。

 

高校2年生

☆受験ゴト

前半は慶應が諦められなかった時期。もうすでに勉強に対するモチベーションも無くなってしまい、成績が下降し続けていたにもかかわらず。多分当時の私は慶應に行きたいんじゃなくて自担が通ったキャンパスに通って自担が授業を受けた場所で授業を受けたいだけだった。

後半は志望校を一転、同志社大学に変える。これは関西Jrに本格的にハマりFunky8の中に自担ができたことが大きい。全国ツアーがあって地元に来てくれるデビュー組と違って、現場に行くには地元からでは遠征費がつらい。結果、進学を機に関西に行けばいいじゃないという考えに至った。考えが浅はか。明治OKなら同志社もOKでしょ理論を持ち出して親は説得した。志望校を変えたことで若干勉強に対するモチベーションが戻った。このモチベーションは高3の始めぐらいまで続きました。ただし成績は上がってないです。

 

勉強内容は本当に記憶が曖昧。文系なのに英語で書かれた理系の論文みたいなのを読まされたのは覚えてる。多分前半は高1の続き、後半は受験にむけた演習ばっかりだったと思う。文系3科目*6 以外は捨ててた。数学は留年回避のための最小限。模試は受けてたけどまだそんなに参考にならないよね〜とか話してた気がする。慶應同志社E判定でした。地元1番の私大でもC判定。今私が通っている大学はB判定だったかな多分。

この年は大学見学も行った。夏に学校が東京の大学見学ツアーを組んでくれたのでそれを使って慶應と明治に行った。春休みは京都旅行ついでに同志社も見た。

 

★ジャニヲタゴト

5月    Forever Plaid (V6長野博)

12月  Are You Happy?(嵐)

2月    なうぇすと(ジャニーズWEST/関西Jr)

高2で行った現場はここまで。進学校だったこともあってバイトもできず、必然的に毎月のお小遣いでヲタ活をするしかなく、交通費グッズ代チケット代FC費考えると全然現場に入れなかった。

5月のミュージカルは高校の同級生と入った。生長野さんは本当にお顔が端正で最高。嵐は母親と妹と。田舎のJKだったので、この公演きっかけで初めてメイクをした。今まで妹がいた関係で親子席だったから初アリーナで泣いた。なうぇすとはそう!!私が志望校を変えた1番の要因の人がバックについていた。バック目当てで情報局から申し込んだ。当時リア友の中にWESTかJrのヲタクがいなかったから1人で行った。今思えばTwitterで探せばよかった…。春松竹は落選した。例年の日程なら春松竹が受験前の関西Jrの現場でラストチャンスだと思ってたからめっちゃ落ち込んだ。実は春休みの京都旅行は元々春松竹ついでに観光する予定でバスを取っていたから。結果、京都から1歩も出ない1人旅になったけど。

高校3年間で1番ヲタ活してたのはここ。嵐用のTwitterアカウントは持ってたからそこで仲良くなった子達と出かけたりした。

 

高校3年生

☆受験ゴト

前半はまだ同志社を諦めきれてない頃。たまたま模試の判定が良くなったこともあって諦めるには早い!って思ってた。良くなったって言ってもDだったけど。部活が秋の文化祭まであったから自分の気持ち的にあんまり受験モードは無かったかな。文化祭も力入れる高校だったからそっちに全振りしてた。でも春夏に引退した運動部は猛勉強を始めてて元から低めだった学年順位がさらに落ちてきた。これまでは赤点を取っても1点届かなかっただけ、とかだったけどこの頃は10点足りないとかざらにあった。それでも現実と向き合えなくて同志社目指してた。関西に進学するためには、我が家の方針的に同志社受かるしか選択肢がなかったから。

これぐらいになると併願校も考えなきゃってことで夏休みは地元の大学2校のオープンキャンパスに参加。このうちの1つが今通ってる大学。

文化祭も終わって後半に突入するとやっとこのままじゃ受からないと焦りだした同志社は1回だけC判定取ったけどそれ以外の模試は散々だった。センター3ヵ月前ぐらいにやっと現実を見る。地元私大は大抵A~B判定だったからそっちにシフト。結局同志社記念受験しようと思って、1学部だけ受けた。その他に受けたのは地元の私立トップ大学と今通ってる大学と滑り止め2校。

 

センター1ヵ月前までは、学校が2次試験対策を中心にした授業だったからそれを私大対策に使った。私大の過去問は文化祭が終わってから1回だけ解いて、センターが終わってから残りをめっちゃ解いた。センターはセンター利用入試にしか使わない予定だったので、1ヵ月前からしかやってない。センターの出願ってめっちゃ早い段階で手続きするから何を受けるのかわかんなくなってた。センター1週間前に現代社会受けることに気づいて真っ青になった。

 

★ジャニヲタゴト

8月 The ONES(V6)

やっぱり受験生だとどこも行けない。嵐は12月にあったけどセンター1ヵ月前とかだったので応募しなかった。いつも家族で申し込んでたから妹には我慢させて悪かったな。関西Jrのあけおめもあったはずだけどセンター1週間前に大阪行くのはさすがに無いなと自重した。8月のV6の段階で、多分これが受験前ラスト現場だなってことはある程度予想ついてたから切り替えはしやすかったと思う。でもレポとか回ってくるし、そういうの読むと行きたかったってやっぱり思っちゃうよね。Twitterログアウトとかはしてないです。私の場合、「理想の進路行った方がこれからもジャニヲタを楽しめる」が受験のモチベーションの基礎だったので。読んで、来年こそは!って意気込んでた。でも時間喰われるからそうじゃない人にはオススメしない。私は学校の行き帰りの時間でチェックしてました。

自担が出演するリューン初演の申し込みが始まったのは私大受験が始まる前かな?ちょっと曖昧。公演が5月とかだったから行けないことも無かったけど、進路が決まってなくて予定が分からず、住むところが地元か関西かも分かってなかったから申し込みしなかった*7。春松竹も3月末なら行けたけど同上。

DVDやドラマ、雑誌はセンター試験まで我慢しませんでした。センター終わって自己採点してようやく怖くなって封印。振り返ればこれは遅すぎた。勉強せずに、これらにすごく時間を費やしてたことが封印してから分かった。

 

結果

センターは真っ青になった現代社会が意外と良かったけど英語が酷かった。プラマイゼロどころかマイナス。おかげでセンター利用が使えなくなって一般受験に変えたところもある。

上から志望順。学部は文化とマーケティング関係に興味があったのでこのチョイス。

同志社・文学部→不合格(合格点に30点も足りなかった)

地元トップ私大・文学部→不合格

地元トップ私大・国際系の学部→不合格

今通ってる私大・国際系の学部→不合格

今通ってる私大・経営学部→合格

滑り止め私大①・国際系の学部→合格

滑り止め私大②・経営学部→不合格

これ7個しか書いてないけど本当は形式別に併願とかしてるので合否判定は15回ぐらいされてます。それなのにこの合格率、マジやばい。正直1番上以外は受かると思ってた。多分受験舐めてたんだと思う。

落ちて1番キツかったのは滑り止め。センター利用だったのでまさか落ちるとは思ってなかった。センターリサーチもAだったのに。私の学年から私大が合格者数を絞り出して昨年のデータが参考にならなかったという事情は後で知りました。当時は滑り止めに滑るなんて恥ずかしくて友達に言えなかった。

本当に親には申し訳ないことをした。いくら併願で受験料が安くなったとはいえトータルで30万ぐらいは飛んだと思う。

 

振り返って

本当に3年間ずっと受験を舐めていた。最初は、進学校に入れた安心感もあって国公立大学に行けると信じていたし、私大専願を決めてからも国公立に比べて科目数が少ないから余裕だと決め込んでいた。

これ、マジで良くない。

受験に失敗した人が何言っても説得力無いだろうけど、受験って早くから動くことが大事。めっちゃ大事。文化祭が終わったぐらいから全員が全力を出してくるのを見て、やっと焦りだした私はめちゃくちゃ遅い。みんな私と同じぐらいやってないって思ってたけど、違ったんだよ。今までは部活が忙しくて、高校にいる間は勉強できなかっただけ。家ではやってた。それが分からなかった私はものの見事に置いていかれました、ちゃんちゃん。

ヲタ活だってもっと早く制限をかけていたら良かったかもしれない。当時は今のヲタ活が制限されるなんて耐えられないって思ってたけど、たった1年ぐらい耐えればよかった。8月の現場だけにしてDVDとかテレビとか全部封印すれば良かった。1度きりの高校生活ヲタクしたかったけど、将来もジャニヲタを楽しみたいならちゃんとメリハリをつけるべきだった。

 

今私の学年は、就職に向けたインターンシップの申し込みが始まっています。それで企業情報を見るんだけど、給料や福利厚生が良いところはやっぱり有名大学出身者ばかり採用しています。優良企業の方がヲタ活がしやすいのに、私はエントリーシートで落とされるかもしれません。面接にもたどり着けない。高校時代もっと頑張っていたら、もっと早くから受験勉強していれば…と後悔することばかりです。

だから、もしここまで見てくれた現役高校生がいるなら今すぐ勉強してほしい。この記事を反面教師にしてください。私みたいに大学に入学してから高校3年間のことを悔いることがないように。受験に失敗したお姉さんからのお願いです。

もしそれ以外の方ならば、存分に笑い飛ばしてください。随分アホだなあって。この5239文字が私の後悔の供養です。

 

 

 

 

 

 

*1:しかもセンター試験変わるとか言われる前の時代のヲタクなので参考になるかは分からない

*2:詳しい担当はこのブログの自己紹介記事参照

*3:当時の偏差値的に

*4:親には口が裂けても言えない志望理由だったので科目数を絞りたいから私大がいいとでっちあげた

*5:システムの切り替えでそもそも新規会員受付してなかったような気がする

*6:英・国・世界史

*7:今思えば同志社受かるわけないんだから気にする必要なかった